三人の妻

白道燃ゆ

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 昔、ある金持ちの男が三人の妻を持って楽しんでいた。

 一号夫人を最も可愛がって、寒いといっては労り、暑いといっては心配し、ゼイタクの限りを尽くさせ一度も機嫌を損なうことはなかった。
 二号夫人は、それ程ではなかったが種々苦労して、他人と争ってまで手に入れたので、何時も自分の側において快しんでいた。
 三号夫人は、何か淋しい時や、悲しい時や、困った時だけ逢って楽しむ程度であった。

 ところがやがて、その男が不治の病床に臥すようになった。
 刻々と迫りくる死の影に怖れおののいた彼は、一号夫人を呼んで心中の淋しさを訴え、是非死出の旅路の同道を頼んだ。
 ところが「外のこととは違って、死の道連れだけは、お受けすることはできません」と、すげない返事に、男は絶望の淵に突き落とされた。

 しかし、淋しさに耐えられぬ男は、恥を忍んで二号夫人に頼んでみようと思った。
「貴方があれ程、可愛がっていた一号さんでさえ、イヤと仰有ったじゃありませんか。私も真っ平ごめんでございます。貴方が私を求められたのは、貴方の勝手です。私から頼んだのではありません」
 案の定、二号夫人の返事も冷たいものであった。

 男は、おそるおそる三号夫人に縋ってみた。
「日頃の御恩は、決して忘れてはいませんから、村はずれまで同道させて頂きましょう。しかし、その後はどうか、堪忍して下さい」
と突き放されてしまった。

 これは『雑阿含経』に説かれている有名な話であるが、男というのは我々人間のことである。
 一号夫人は肉体、二号夫人は金銀財宝、三号夫人は父母妻子兄弟朋友等を喩えられたものである。

 私は時々、悲惨な臨終説法を依頼されることがある。
 たまたま不治の病を自覚していざ後生と踏み出すと、魂は真っ暗な未来に泣くのである。
 今まで命にかえて、大事に愛し求めてきた一切のものから見放され、何一つあて力になるものがなかったことに、驚き悲しむのである。
 そして眼前に開けるものは、無底の黒闇あるのみである。

 過日も、臨終の迫ったTさんは、ポロポロと落涙しながら
「先生、私は六十何年間、何をしてきたのでしょうか。何の為に苦労してきたのでしょうか。馬鹿でした、馬鹿でした」
と自らの握り拳で、ガンガン頭を叩いて泣かれた。

 これが、弥陀の本願に救われない一切の人々の終末の相なのか。
 弥陀の本願に値えない人間ほど、悲劇的動物は外にはあるまい。

 この釈尊の説話を想起せずにはおれなかったのである。

高森顕徹著 白道燃ゆより)

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