相対の幸福と、絶対の幸福 (1)

白道燃ゆ

 一切の人は幸福を求めて生きている。これに異論を唱える者はなかろう。汗水流して働くのも、苦しみを辛抱して頑張るのも、嫌な勉強に全力を傾ける学生も、果ては自殺する者ですら、幸福を望むからに外ならない。

 されば人生の目的は幸福だ、と一応は言える。科学も哲学も、芸術も道徳、宗教もその他、あらゆる人間の営みは、この目的達成の為に生まれたものである。

 ところが、その幸福に2つある。相対の幸福と、絶対の幸福とである。
 では相対の幸福とは何か。健康だとか、お金が沢山あるとか、素晴らしい配偶者と結婚できたとか、社会的に高い地位や名誉を得られたとか、いわゆる世間一般に幸福だと考えられているものを相対の幸福という。

 確かに、健康で、金があって、好きな人と暮らせて、思う存分他人をアゴで回せたらさぞ愉快で面白かろう。楽しくて幸福であろう。
 しかし、これらの幸福には常に不安がつきまとって離れない。明日はどうなるか分からないという不安が去らない。

 昨日まで病気知らずの人が、突然、発病して病床で苦しむということは珍しいことではない。昨日までの幸福は根底から、くつがえされる。病苦に呻吟しながら、昨日までの健康を喜ぶ心は毛頭出てこない。

 また、元気な若人が、どんどん事故死する。若いと言っても、少しもあてにはならない。一寸先は闇である。
 素晴らしい邸宅も一朝にして灰燼になることも、いくらでもある。その時になって、今までの幸福を喜ぶ気にはなれない。

 他人も羨む結婚をしても、お互い生身の身体だ。何時病に倒れるやら、死ぬやら分かったものではない。

 これは決して、神経質者の杞憂ではない。若し、これが取り越し苦労ならば、この世に夫を亡くして苦労している女もなければ、妻に死なれて子供を抱えて悩む男もない筈だ。

 これらの幸福は、今はあっても、何時無くなるか分からぬ無常のものだから、本当の幸福とは言われない。このような不安の充満している幸福で、我々が心から満足できる道理がない。

 されば、永久に変わらぬ絶対の幸福こそが、人生窮極の目的になるのである。その絶対の幸福になる道を教えているものが、仏教なのである。

高森顕徹著 白道燃ゆより)

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