ハッキリするまで、求めぬけ

白道燃ゆ

 仏法とは釈尊の説かれたものである。釈尊一代の教えは、阿弥陀仏の本願一つを説く為であった。

 故に、仏法を聞くということは、阿弥陀仏の本願を聞くということである。

 仏法を信ずるということは、阿弥陀仏の本願を信ずるということである。

 では、阿弥陀仏の本願とは何か。阿弥陀仏のお約束、願いということである。

 阿弥陀仏はどんな願いを建て、どんな約束をしていられるのか。それを我々に教えにこられたのが、釈尊である。

 生老病死の四苦を始め、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦などの苦しみに満ちているのが人生の実相である。

 這う子も立つ子も我慢を通したいともがいている。学生は成績の良し悪しを苦にしている。大人は色欲の為に身を焦がしている。労働者は楽をして賃金を多く得ようと苦しみ、資本家は労働者を酷使して暴利を貪ろうとして悩んでいる。寸時も安らかな者はいないのである。

 これは、どんなに科学文明が発展しても、変わらぬ人間の相なのである。

 されば、苦しむ為に生まれてきたようなものである。

 これでは、人身受け難し、今すでに受くの喜びなど、あろう筈がない。あるものは苦しみ悩み、ウラミと呪い、不安と焦燥、不満と不平のみである。

 かかる我々に対して、何とか救わねばならぬと、大悲やるせなく建立せられたのが弥陀の本願なのである。如何なる苦しみ、不安も必ず救うてみせる、必ず助けると、弥陀は正覚をかけて約束なさっている。

 しかも、三世十方の諸仏も菩薩も、この弥陀の本願真実を証誠護念なされている。だから、阿弥陀仏の本願を信ずれば、現在、一切の苦悩から解放せられて、絶対の幸福になれるのだ。しかも、弥陀は一念で救うと誓っていられる。信ずる一念で抜苦与楽の身になれるのである。

「しかれば、大悲の願船に乗じて、光明の広海に浮かびぬれば、至徳の風静かに衆禍の波転ず」(教行信証)

 これは親鸞聖人が、阿弥陀仏に救われた妙境を述べられたものである。阿弥陀仏の本願に救われると、渦巻く苦悩の人生が光明輝く人生に転ずると道破なされている。また、

「念仏者は、無碍の一道なり。天神地祇も敬伏し、魔界外道も、障碍することなし」

とも喝破なされている。

 阿弥陀仏に救われた者には、一切の苦は、苦のままで障りとはならないから無碍の生活ができるのだ。一切から敬愛され、総ての怨敵も畏服するのだと仰有っている。

 阿弥陀仏の本願に勝る善もなければ、弥陀の本願をさまたげる悪もないからである。

 こんな素晴らしい、広大な救いにあずかって、ハッキリしない筈がない。ハッキリこの境地が味わえないのは、未だ、大信海に入っていないからである。まだ、救われてはいないのだ。明信仏智ではないか。

 されば、蓮如上人も、

「他力の信心ということをば、今すでに獲たり。今こそ明らかに知られたり」


と仰有っている。

 泣いても、笑っても、真実の道は一本キリだ。ハッキリするまで求めぬくことだ。

高森顕徹著 白道燃ゆより)

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