わかっちゃいるけど、やめられぬ

白道燃ゆ

 昔、中国に、何時も樹上で坐禅瞑想していた鳥●という僧がいた。

 ある日、儒者で有名な白楽天がその樹の下を通って、一つ冷やかしてやろうと思った。
「そこの坊さんよ、そんな高い木の上で目をつむっていては、危ないではないか」
 鳥●すかさず、
「そういう貴殿こそ、危ないぞ」
と切り返した。
 この坊主、相当偉い奴かも知れぬと見てとった白楽天は、
「私は名もなき白楽天という儒者だが、貴僧の名を承りたい」
と訊くと、
「私は鳥●という名もなき坊主だ」
 これが有名な鳥●禅師と知った白楽天は、かねてから仏教に関心を持っていたので、
「いい処で貴僧に遇った。一体、仏教とは、どんなことを教えているのか、一言でおききしたい」と頭を下げた。
 鳥●は即座に、
「もろもろの悪を為すことなかれ、謹んで善を修めよ、と教えるのが仏教である」
と答えた。
 白楽天、いささか呆れ顔で、
「そんなこと位なら、3歳の子供でも知っている」
と冷笑すると、鳥●すかさず、
「3歳の童子もこれを知るが、80の翁もこれを行うは難し」
と大喝している。

 仏教を一貫するものは因果の道理である。善因善果、悪因悪果、自因自果は、三世十方を貫く真理である。
 この真理に立って、廃悪修善を勧めるのは当然のことである。
 しかし、これを教えるのは仏教だけではない。道徳や倫理、哲学、一般の諸学問も例外ではない。
 だが善だと知りながらも善が行えず、悪だと知りながら悪を止められないのが、我々の悲しい現実である。
「飲めば出るくせ承知で飲んで、出さぬ気で出る悪いくせ」
 やればよいこと分かっているが、中々できない。

 先日、富山市内の女医さんが、自家用車で他人を撥ねとばして逃げるという事件があった。やがて逮捕され、撥ねた人が顔見知りの患者だったので、知られると思って逃げたと告白している。
 人命を預かる聖職の医師が何たることか、と非難するのは易しい。
「分かっちゃいるけど、やめられぬ」
「こうしてこうすりゃ、こうなると知りつつ、こうしてこうなった2人」
という唄の文句もある。
 何もかも合点承知の上で、やっているのだ。

 しかし、止められなかったからといっても、因果の道理は曲げられない。蒔いた因は必ず生える。その報いは、自業自得で一身に受けてゆかなければならぬ。

 叩けばホコリの出るのは畳だけではない。
 家庭のイザコザや、嫁やムコの噂話を、茶飲み話にして楽しんでいる。
 隣の貧乏は雁の味がする。だから隣に蔵が建てば腹が立つ。
 隣の夫婦ゲンカはテレビよりも面白いし、台風が来れば「どうか、こちらへ来ませんように、他の方に進路が向きますように」と祈っている。
 他人の不幸を喜ぶ外に喜びの知らない奴だ。

 女は、自分より美しい女とすれ違うと必ず振り返る。
 その目にはシットの炎が燃えている。やがて「私だって」と自惚れ心が相手を踏みつける。
 今こそコックリコックリ船こぐ老女でも、ウグイス鳴かせたこともあったであろう。
「イヤよ! 手なんか握ったりして」と、赤面したウブな時ばかりでなかった筈だ。
「イヤよ! 手を握っただけではツマンナイ」と、鼻をならしたことがあっただろう。
「あの声で トカゲくらうか 時鳥」で、母に生きよか、女になろかと悩み苦しんだこともあるだろう。

 如何に科学が長足の進歩をしても、この人間の実相は少しも変わらない。
 人工衛星船が飛び宇宙散歩がなされていても、その下には相変わらず一家心中、夫婦離別、親子げんか等、千苦万苦の怒濤は渦巻いている。
 お互い相手の立場を理解し、愛し合ってゆくことがよいとは分かり切っているのだが自分の都合に反すると憎悪の心しか起きてはこない。
 いけないことだと泣きながらも、無間のドン底から噴き上げる悪性の炎は、学問や教養や修養のコップの水位では消せるものではない。
 科学や哲学、道徳、倫理、一切の学問の限界がそこにある。

「定水をこらすと雖も識浪しきりに動き、心月を観ずと雖も妄雲なお覆う」
「悪業をばおそれながら即ち起こし、善根をば、あらませども得ること能わざる凡夫なり」
 親鸞聖人の悲泣も、分かっちゃいるけど止められぬ、この人間の限界に打ち当たっての悲痛な叫びであったのだ。

 しかし聖人は救われた。20年の血のにじむ聖道自力の仏教でも打ち破られなかった鉄壁が、阿弥陀仏の本願力によって打ち破られたのである。
「弥陀五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人が為なり。されば、そくばくの業を持ちける身にてありけるを、助けんと思召したちける本願のかたじけなさよ」
「念仏者は、無碍の一道なり。天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし」
 かくて万人救済の大道は開かれたのである。

※●……穴かんむりに「果」

高森顕徹著 白道燃ゆより)

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